「独占」とは悪なのだろうか? 人は競うことを恐れ,他から追随されることを恐れ,その不安から逃れるために,自ら以外を排除してしまうこともある。その,孤独と不安を,罪とすることは,できるのか。
世界最大のソフトウェア会社,マイクロソフト社に対する反トラスト法(独占禁止法)違反の裁判で,ワシントン連邦地裁は5日,マイクロソフト社がメーカー各社に圧力をかけ,ライバル社の弾圧を行い,消費者にも打撃を与えた,という事実認定を行った。早ければ年内にも判決で,独禁法違反の「クロ」になる公算が強まり,同社の強制的分割や,司法省か裁判所の監視下配置などの処分が予想される。
すぐにビル・ゲイツ会長は会見し,この業界で独占など簡単にしていられないんだ,という発言をしている(asahi.comの記事)。しかし,株価の大幅な下落や,なによりも世間からのマイナスイメージに悩まされていることから,司法省との和解の道を探っている(ZDNetの記事)。多額の和解金や,事業内容の修正などで有罪判決を逃れたいということだが,司法省はまったく応じる気がないらしい。まっ,散々強気な発言をしてきたMS相手だから,当然だろうが。
だが,この問題で常に云われてきた疑念もある。これはビル・ゲイツの商法が完全に否定されたことでもあるが,それを「悪」であるとして罪と罰を与えるのは,やっかみを含んだ高圧的な態度と思えなくもない。ビル・ゲイツの表情を見てみればいい。常に何かに恐れ,言葉には自信がなく,動作も物怖じている。その姿が,この商法を生み出した。そこには,人間の本質的な弱さが見え隠れしている。それを,一言の「悪」,で言い表すことはできない。
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